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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2017年2月3日金曜日

時にはいい人をやめる


わりと精神的にはタフなほうに属している。
と思っています。

私の中にはナイーブで人に気を遣う月と、いざとなったら何もかも破壊できる冥王星が同居していて、緊急時になればなるほどこの冥王星が私の中で強く働くようです。
こういうときは、すごくタフです。

今は、はっきり冥王星モードです。
おかしな言い方ですが、セーフティモード? とりあえず冥王星は私を守ってくれています。

ですが、そんな自分でさえも、かなり危ないレベルに近づいているなということを実感しています。

ああ、こういう時に人は壊れるんだな――。

というようなことを感じています。
たぶん私が、月だけが優勢なキャラだと、そうなっていたと思われます。

あ、いや、私は壊れるようなタマじゃありませんので、ご安心ください(笑)


やってきたことに情熱を持っていればいるほど、打ち込んできた時間が長ければ長いほど。
大切に思っていればいるほど。
その結果が否定されたり、挫かれたりしたときに、人は壊れるな、と。

周到に考えを巡らし、あちこちで警告を促し、確認を取り。
普通ではありえないような試みをし、緊急事態にもとことん対応し抜き、その結果がポキンと折られるようなものであったら――。

心もポキンと折れてもおかしくない。

こうして、立ち直れないような痛手を受けてしまう人が生まれる。

そういう方の鑑定を幾度も行ったことがありましたが、わが身ではっきりそれを連想できる状態になるとは、数か月前には思っておりませんでした。

あ、いや。
そうではない。

実は同じ体験を、17年くらい前だったか、しています。
そのときも足元にぽっかり空き、奈落に落ち込むような心境でした。

逆に言えば、その時の経験があるからこそ、今は大丈夫なのでしょう。

とはいえ、人間というのはよくできているなあと思うのですが。

こうしたメンタルな問題が、体にもはっきり出てしまう。
気力で何とかできるとか、そんなレベルではなくなってくる。

そんなこともわが身で見せられ、驚いています。


このような出来事。

実際にはそれは、ほんのささやかなもので解決できているのです。
多少の思いやりのある言葉であったり配慮であったり、話の持って来かたであったり。
そういうものがなく、ポキンという結果だけを突き付けられると、通常の感覚では「なんだ、そりゃ」となるのが当たり前です。

子供ではないので、何が必要で何が不必要なのか。
何が問題でどうすべきなのか。

そういうことは理性的に判断できるのですが、やはり共感を示す、相手の立場になるというのが、何よりも大切なのだろうと、わが身を持って今一度教えられました。

それがないと、簡単に人の心にはトラウマが作り出されてしまい、孤独も作り出されてしまう。


私は基本的に、人の苦しみや悩みはその人のものであり、簡単に「わかるよ」などというのもどうかと思っています。
なかなか本人でないとわからないものがあるからです。

よく考え、思いを巡らし、その人の感情を推し量ってみる。

人として当たり前のことなんですが、それを行ってみたうえでの「わかるよ」には、やはり大きな意味がある。
わかるということ、わかろうとしていると伝えること自体に意味がある。


おそらくなのですが。
そうやってトラウマ的なものを受けてしまう人というのは、そういう極限の事態でも「いい人」であろうとする人が多いのではないか。

とことん追い詰められ、精神的な限界に達した時。

いい人である必要はないのかもしれません。

戦うことも、時には必要です。
自分が壊れるような結末になることが良いとは、私は考えません。

時には、いい人をやめてしまうのもアリなのかもしれません。

そのやり方は様々で、よく考える必要があると思いますが、そう思えたらきっと楽になる――


勝手な想いを綴らせていただきました。
m(_ _)m



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