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2017年7月29日土曜日

人それぞれの幸福への課題 ホロ向き合い6


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魂の課題は、過去生に由来するものであろうと、今回の人生ではじめて計画されたものであろうと、なかなかにハードです。

これはきわめて当たり前の話ですが。
あなたが某高校の野球部のコーチを任されているとします。この野球部を甲子園に連れていけるレベルにしなければなりません。
そんなとき、ゆる~く彼らに接するか? いや、あたりがゆるいとしてもです、練習の量とか質とか、そんなものまでゆるくしてしまうでしょうか?

それではとうてい甲子園に行けませんよね。
相当に真剣な、ハードな練習を課すはずです。
この練習が、私たち一人一人が持つ固有の課題です。

「いや、自分はそんな甲子園なんかに行きたくない。甲子園ていうのがたとえだというのはわかるけど、たとえだとしてもそんな大きなステージを望んでいるわけではないよ」
と、お考えになる方もいるかな?

甲子園というのは、かならずしも大きな望みではないのです。
これこそたとえです。
人はそれぞれ自分の望む幸せについて、異なる価値観をお持ちです。

配偶者と子供のいる、ささやかだけど幸せな家庭を持つことが甲子園かもしれませんし、自分のやりたいことをとことん追求できる人生が甲子園かもしれませんし、ビッグな成功を実現するのが甲子園かもしれませんし、何かの道を究めるとか、とにかく今回の人生は楽しみたいんだとか、誰かとのきずなを深めたい守りたいとか……人それぞれ甲子園は違います。
この場合の甲子園とは、その人が望むところの幸福とお考え下さったらわかりやすいと思います。


魂の計画は、基本的に自分の魂が今回の人生のプランニングをします。
退行催眠によって、過去生や中間生(一般的な感覚でいうあの世)の記憶をよみがえらせた人の証言がそれを裏付けています。

つまりあなたには人生のコーチがついていて、今回の人生の課題を課しているのですが、そのコーチとは今のあなたが知る由もないあなた自身の上位の意識だということです。
あなたの本体である光です。
愛です。

コーチは、基本的には何の苦労もなく、思い通りに、本人のエゴを満足させる形で幸福を実現させません。
そんな甘い状況ではないからです。
甲子園のライバル校たちは、この場合、あなたの前世のカルマであったり、今回の人生では届きそうもない高い塀であったりします。

もし球児たちが、さしたる努力もなく、甲子園に出場し、優勝旗を手にして帰るとすれば、彼らの感動や満足はきわめて低レベルにとどまるでしょう。
そして、こんなふうに思うかもしれません。
「あ、なんだ。こんなんでイケるんだ」

こんな考えは、ある程度人生経験をした人からすれば、人生をなめているように思えるでしょう。

魂コーチも同じです。魂コーチは、あなた自身の本質ですが。
あなたを甘やかしません。
それがこの世に生まれ、生きるということを。

そして、この世はそういうふうに設定されているからこそ、思い通りにいかないし、澱もたくさんあるのです。


つまりなんのいわれもなく、面白くない、望まない、思い通りにいかない、あまりにも辛く悲しい……そんな状況が生み出されているわけではないということです。
この世で私たちが受ける苦難や悲嘆は、99%、本人に由来しているということです。
それがどんなに理不尽で、自分に責任がないように思えても、です。

これがエゴにとらわれ、エゴでしかものを考えられない、物質的な世界マルクトに生きる私たちの陥りがちな罠なのです。

私たちのエゴは、ついこう考えてしまいます。
「あの人は幸福そうなのに、なぜ自分に同じだけのものが与えられないのだろう。大それたことなど望んでいないのに! 当たり前に幸せになりたいだけなのに!」

これはきわめて当たり前の感情です。

「俺はあいつの何倍も努力しているのに、なんであいつが選ばれるんだ! あいつは容姿もよくて、魅力がある。結局、そういうことなのか?! 与えられた天分に差があったら勝てないのか」

こんなことも思います。
人として当たり前に思います。



はい。
その感情。

それこそが、今回の人生で味わわねばならないものだったのです。
それこそ、甲子園を目指す球児たちの練習と努力と汗と涙。

そして、そう思うあなたが悪いのではない。
むしろ、一度はそう思うこと、あるいは幾度もそう思うことこそが、あなたにとって大事なことだったのです。

あなたがそんなふうに感じていること。
それが正解。
それは悪いことじゃない。
それでいい。

そのプロセスこそが、大事であり、課題なのです。


これをどこまでもあなたが抱き続けて生きるか、そのために人やこの世や天を恨んで生きるようになってしまうか。
それとも。
そんな現実をあるがまま受け入れてしまい、強くなれるか。
違った見方や価値観を見つけ、優しくなれるか。
とことんこだわっているものを手放してしまえるか。

これらが、じつは課題の克服そのものなのです。


おっと。
ちょっと長くなってしまいました。

人間関係のこともお伝えするつもりだったのですが、次回に譲ります。

人間関係の中での課題の克服も、いくつものパターンがあるので、簡単に済ませることは難しい。



大変申し訳ありませんが、私は今日、この後、母とその友人を「三山ひろし」のコンサートに連れて行かねばなりません(笑)

これも課題??(爆)



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