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2017年8月11日金曜日

うれしうれしの人生になるため ホロ向き合い9



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※このシリーズは、ラベルの「ホロスコープとの向き合い方」で一括検索できますので、過去の記事も併せてお読みくださいますと幸いに存じます。


長いことお付き合いいただきましたが、このシリーズの最終稿です。


多くの人は、ホロスコープの良い部分にこそ幸せのカギがあると信じます。
たとえばそれはトラインとかセクスタイルとか、あるいは小三角になっているとか、そういう好ましげなアスペクトを持っている部分に着目し、その才能を伸ばすことこそやそこが表示する仕事や人物にこそ幸運の手掛かりを求めます。

これは間違っていません。
私にしても水星にトラサタからのソフトアスペクトが集まっており、だからこそ書くことの能力を伸ばすことができました。
一度は小説家として世に出、こうしてブログを書くことで多くの人とつながりを持てています。
ネット講座も培った文章力亡くしてはあり得ません。

ですから、私の場合は水星能力を伸ばすことや水星の活動に成功の手掛かりがあることは疑いを入れませんし、やはり多くの方が同じ傾向を持っています。

また木星のある星座やハウスの要素は、その人にとって発展的なものをもたらす可能性があります。木星のコンディションにもよりけりなので、確定的ではありません。
木星はハードアスペクトをあまり持たず、太陽に対してソフトアスペクトを取っているというような状態なら、木星のある星座やハウスには何かしら幸運の手掛かりがありそうです。

こういったことは、占星術のことを学んでいる多くの人が当たり前の感覚として持っています。

しかし。

それだけではうまく行かないことが多いのです。

ホロスコープの中にある「負」と感じられる要素。
ハードアスペクト。
減衰した星。
土星のあるポイント。

これらは代表的なマイナス要素であり、つい目をそむけたくなってしまうところです。

ああ、いやだなあ。
この土星のおかげで仕事がうまく行かないんじゃないか。
このハードアスペクト、恋愛運を悪くしている。
家族関係が良くないのは、4ハウスにこの星があるから。
結婚生活がうまく行かないのは、7ハウスのこの星のハードアスペクトのせい……

いろいろな直視したくない特徴が、ホロスコープにはあります。
あるいは向き合ってはいるが、その天体が表示することに憎しみを抱く、怒りを抱くことも、人には多くあります。

コンディションのよくない星は扱いにくいのは事実ですし、そのために人間関係の問題などが起きていると、その星から離れたいとか、そっとしておきたいとか、そのように感じるのも当たり前ですし、誰か人間関係として存在するのなら怒りや憎しみで対処するというのも、これもまた当たり前です。

けれど。
思い出してください。

このシリーズの中で、そうした課題の部分にこそ、私たち一人ひとりのカルマがあり、解消したり浄化したりしなければならないものが潜んでいるわけです。

私たち人間には、感情があり、傷つきやすい心があります。
それらの課題となるポイントの出来事は、人生のどこかで必ず起きます。
だから、そのときに忘れたりとか離れたいとか、そのように思うことは自然です。
誰もが鋼のような心は持ちません。
癒す時、傷口がふさがる別な体験も必要です。

しかし、その課題となる部分は、いずれ何らかの形で直視し、自分で
乗り越えるか
癒すか
許すか
しなければなりません。

それこそがカルマの解消であり、じつはホロスコープにある「負」の部分を、「生かす」ようになれる作業なのです。

じつはホロスコープのハードアスペクトや問題がありそうな天体のコンディションなども、本当は私たちを幸せに導くものなのです。
そこと、どう向き合っていくか。
向き合わずにいることも、あなたを本当に望む幸せから遠ざけます。
向き合っても負の感情で相対している限り、幸福からあなたは自らを遠ざけてしまいます。

なぜなら、これらの課題の解消が実現されないということは、あなたがこの人生の中でどこかに欠けているものを感じたり自分が不幸だと感じたりすることにつながりますし。
何よりも課題の解消をせずに、自分だけ勝手に幸せになりたいというのは、実に身勝手な発想なのです。

すごくわかりやすいたとえをすると、自分が何かの重大な犯罪を犯し、人を傷つけたとしましょう。
ホロスコープの課題にちゃんと向き合わず、心地よい部分だけで生きていきたいし幸せになりたいという発想は、
「警察にもつかまりたくないし、自分のやったことは忘れて自分なりに幸せになりたいんだよ」
という発想と同じようなものなのです。

これはたとえとしては、実はあまり良くありません。
この世は牢獄でもないし、犯罪者の集団でもありません。

本質はうれしうれしになることです。
その本当のうれしうれしになるためには、肉体に閉じ込められて今は忘れ去ってしまっているかもしれない過去生の何かを解消したり、今回なりに乗り越えるというプロセスが必要になるのです。


こうした解消や乗り越えのプロセスを経た人ほど、幸せになっていきます。

これは私自身がそうでした。
過去生のある種のカルマ、そしてそれに基づいた過去生のリプレイを通過したのちでないと、私は本当に充実感があるとか、そういう人生には至れませんでした。
私の経験が唯一の法則ではないですし、そこにはいろいろなパターンが存在します。

人それぞれプロセスが違う。

しかし、誰もが過去生の課題と今回の人生で生かせる何かをもって生まれてきています。
右手には生かせる何かを。
左手には課題を。
私たちは左手だけを切り離すこともできません。


うれしうれしになるために生を与えられる。
赤子はその手に二つを必ず握りしめて生まれてきます。

左手を開きましょう。
解放しましょう。

右手も開きましょう。
そしてつかみましょう。

あなたの望む幸せを。
うれしうれしの人生を。

そのためにこそ、今のあなたの命がある。

その大きなカギは、ホロスコープのハードアスペクトや課題となる天体の中にこそある。
逆転の発想が必要。
幸せのカギは、私たちがつらい、苦しい、悲しい、憎い、腹立たしい……そんなふうに感じるものの中にこそある。

さあ、あなたはもう子供ではない。

自分で手を開くことができるはず。



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